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當時在仇日的蔣經國統治下台灣和日本訊息 100% 隔絕,日本兩個字是極度負面的名詞!就是電影裡拿著武士刀留著小鬍子,然後眼睛或嘴巴斜一邊那個樣子,電影《筧橋英烈傳》、《英烈千秋》、《梅花》裡的中國人如果會講日文?那只有一個答案:他是日本走狗!
附近住著一對老夫妻,老婆婆經過我家門口常會「命令」我當義工扶著她回家,印象中她家擺飾氣氛和鄰居完全不同,我總是不解她為什麼喜歡聽「壞人的歌」,有一天她和我阿公用日文聊天讓我極度震驚!原來阿公也是壞人! 兩人相比起來,一生務農的阿公比較不親日,除非必要他不說日文。
同樣也在1984年《砂の器》 這部特許播映的日片讓我發現「原來日本也有好人!」。
同樣也是1984年,有一個中國人鄧麗君在敵國日本唱歌卻被政府當「中國人的光榮」,幸好我忙著考試沒去深究這個問題,現在回想起來 1984 年雖沒有歐威爾小說那麼可怕,倒是跟我讀的文革史一樣荒唐而且矛盾。
來!點播 1984 年鄧麗君在敵國拿下大賞的那首歌つぐない/ 償還
窓に西陽が あたる部屋は
いつもあなたの 匂いがするわ
ひとり暮らせば 想いだすから
壁の傷も残したまま おいてゆくわ
愛をつぐなえば 別れになるけど
こんな女でも 忘れないでね
やさしすぎたのあなた
子供みたいなあなた
あすは他人同士に なるけれど
心残りはあなたのこと
少し煙草もひかえめにして
過去に縛られ暮らすことより
私よりも可愛い人探すことよ
愛をつぐなえば重荷になるから
この町を離れ暮らしてみるわ
お酒のむのもひとり
夢を見るのもひとり
あすは他人同士になるけれど
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